こんにちは、まおりんです!
この記事は、こどもの教育に
強い関心がある方に向けて書いています。
「子どもに、いい人生を歩んでほしい」
愛のある親なら、きっと誰もが
そう願っているでしょう。
でも、
「子育てって、何が正解か分からない…」
「こどもの教育って、一体どうすればいいの?」
慌ただしい日々の中で
お悩みの方も、多いのではないでしょうか。
「初めての育児はわからないことだらけ…」
「毎日眠れないし、余裕がなくてイライラ…」
子育ては、
本当に楽しくてやりがいがあると同時に
大変なことも多いですよね。
わたしは、子どもを産んで育てることは
「世界一尊いお仕事」だと思っていて…
心から尊敬して、力になりたいと思っています。
突然ですが、、
そんな子どもの教育について調べる中で
こんな疑問をもったことはありませんか?
「幼児教育をキチンと受けた子は
大きくなってどう育ったんだろう…?」
もしかすると、幼児教育の
正解がわからない理由のひとつは
「幼児教育を受けた子たちが、
本当に幸せな人生を過ごしているのか?」
「いくら親がいいと思っいても、
単なる自己満足に終わってないか…」
ということが
分からないからかもしれません…
実際、
- 幼児教育を受けた子どもは
その後、どんな人生を過ごしているのか? - 「子どもの視点」から見ると
親による幼児教育はどうだったのか?
こうした内容を語った情報は
ほとんどないのが現状です…
現在、わたしは紆余曲折を経て
子育てママパパの教育サポーターとして
お仕事をしています。
そんなわたしの母は、幼児教育のプロ。
日本一になった経験もあるほどです。
私自身、0歳の頃から
母の英才教育を受けて育ちました。
そこで実際に、幼児教育を受けて大人になった
わたしの経験をふまえて
- 0歳から受けた家庭教育の内容
- わたしは小中高をどうやって過ごしたのか?
- 人生の転機となった大学受験
- 社会人になって、どんな大人に育ったか?
- 幼児教育が、どう今の自分に影響しているか?
などを、まとめてお伝えしていきます。
「成功したところしか見せない」
というのでは、真実味がないと思うので…
よかったことも、お恥ずかしいことも
ありのままをお伝えできればと思います。
この記事を読んでいただければ、
「幼児教育」に対する
もう一つの視点ができて、
子育ての考え方が変わるはずです。
ストーリー形式でサクッと読めるので
ぜひ楽しんでいってください!
もくじ
0歳からはじまった?母の家庭教育と理想の子育て
雪が舞うような冬のある日。
わたしは、この世に誕生しました。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
心の底から溢れ出る、
そんなメッセージを全身で受けて。
というのも、、
わたしには2歳上の兄がいます。
しかし、
「乳幼児突然死症候群」により
兄は、生後2ヶ月半で他界。
誰よりも、命の尊さをかみしめる
両親のもとに誕生しました。
そして、それと同時に
母による「家庭教育」がはじまります。
「赤ちゃんのときから、教育??」
「早すぎるのでは??」
そう思う人もいるかもしれません。
そこで、まずはじめに
才能、人格ともに優れたドイツの
“ある天才”の話をさせてください。
彼の名は、カール・ビッテ。
- 8歳:6カ国語を習得
- 9歳:ライプツィッヒ大学に入学
- 14歳:哲学博士の学位授与
- 16歳:ベルリン大学法学部教授に任命
こんな華々しい経歴の持ち主です。
それだけではありません。
人と接するのが苦手…
ではなく、
周囲の人から好かれる
人物だったと言います。
なぜ、そんな天才が生まれたのか?
その秘密は
「カール・ビッテの教育」として
世に公開されます。
その原書は、
たった一冊しか残されておらず…
ハーバード大学の貴重品室に
保管されています。
そして…
ハーバード大学の教授陣が
この本を読み、
自らの赤ちゃんに教育を実践して
天才児を次々と育てていったのです。
これは、数ある教育の中でも
ひとつの考え方、手法です。
ひと言で「教育」といっても
いろんな考え方や方法があります。
母にとっても、わたしが
ほとんど初めての子育て。
初めての育児に、不安や迷いは
つきものだったことでしょう。
それでも、勉強熱心だった母は
たくさんの育児書を読み漁ったり、
「これだ」と信頼できる教材に
100万円以上を投資したりして、
最高の「家庭教育」を実現してくれました。
それが、、
「カール・ビッテの教育」に、
最新の脳科学を
取り入れたメソッドです。
一言でいうと…
「心」と「体」を大切に育てることで
知らず知らずのうちに
素晴らしい「知性」が育つ。
わたしは、そんな考えのもと、
育ててもらいました。
こうした幼児教育を通して、子どもは…
- 天才的な才能が開花する
- 創造性や発想力が育つ
- 自分に自信をもって行動できる
- 深い洞察力や思考力、探究心が芽生える
- 心や感性が豊かになる
のように育つと言われています。
わたしが
「この幼児教育を広めたい」と思ったのは
大人になれば、なるほど…
人生を主体的に歩むうえで
幼少期の教育がとても重要な役割を果たす
と気づくようになったからです。
そして、わたし自身が
人生で最も影響を受けたことを
ひとつだけ選ぶなら…
「母の英才教育」
と答えるからです。
もちろん、完璧な人間なんていませんし
わたし自身もまだまだ成長途中です。
しかし、
- チームが不調で、成果が出ない時期も
やる気を失わず、黙々と鍛錬を続けたり… - とてつもない情熱で
日々、積極的に仕事したり… - 大学生の時から、人生の大先輩を前に
壮大な夢を語ったりしたからか…
先生や上司、先輩から
「お母さんはどんな人?」
「一体、どうやって育てられたの?」
と、今でもよく不思議がられます笑
ここまでの話で、わたしが
- 家庭教育
- 幼児教育
- 英才教育
というとき、
それが指すのは…
ただ、小さい子どもに教える教育。
ではなく、、
「生きる力」を育てる土台です。
たとえば、、
- 主体的に人生を歩む力
- 自分自身の「軸」を見つける力
- 自ら学び成長し続ける力
など。
もっとも効果の高い幼少期に
子どもにとって最愛の親から受ける。
それが、わたしがいう
幼少期の教育の姿です。
そんな幼児教育には、
4つの原則があります。
ここでは、簡単にご紹介しますね。
◆原則1:教育をはじめるには最適な時期がある
生まれた瞬間の赤ちゃんはみんな天才です。
しかし、放っておくと
そうした能力は消えていくと考えます。そして、脳は3歳までに70〜80%も完成されます。
つまり、早ければ早いほど
天才児に育つ可能性が高まります。
◆原則2:親こそが、子育ての主役
子育ての主役は
学校の先生でも、東大の教授でもありません…お母さん、お父さんこそが
子どもにとって最大の先生なのです。
◆原則3:家庭こそ、最高の教育現場
プロのスポーツ選手が幼い頃、
お父さんと自宅で特訓していた。そんな話を聞いたことはありませんか?
朝起きてから、夜寝るまで…
一日の大半を家で過ごすと考えると
もっとも子どもに影響を与えるのが
家庭の環境と考えるのは自然でしょう。
◆原則4:適切な教え方がある
いくら良い材料があっても、
レシピを間違えると、
まずい料理になってしまいますよね…それと同じように、子どもにも
適切なタイミングで、適切な教え方があるのです。(参考:IQ200天才児は母親しだい!)
いま思い返してみても…
「子どもの時間は貴重だから、
のびのびと過ごしたらいいよ」
「学ぶって、楽しいね」
「将来は、社会の役に立つ人になってね」
記憶に残っているのは、母のこうした言葉。
きっと繰り返し
言われてたんだと思います。
改めて、本当に恵まれた環境で
育ててもらったんだと感謝しています。
そして、
そのありがたみを実感するからこそ…
将来は、人の役に立てるようになる。
そのために、いまを一生懸命、生きる。
そんな好循環が生まれました。
大切なことは、小学校入学までに学んだ
母の影響で、学ぶことが大好きになったわたしは
学校も大好きになりました。
小学校に入学する前には、
こんな絵を描いていたみたいです。
遊ぶように、学ぶ。
積み木やボールで遊ぶことも
たしざんやひきざん、漢字を書くことも…
同じように、遊び感覚で楽しんでいました。
この感覚が少しでも、
伝わったら嬉しく思います。
日本一になった母と涙の退社
実は、母が大人になったばかりの頃…
こんなことを思っていたそうです。
「赤ちゃんは泣くし、よく分かんない」
「将来、子どもはいらないし、
結婚しなくてもいいかな…」
でも、わたしが生まれる頃には
子育ての魅力に目覚め
いつしか「母」として全国のママパパに
家庭教育を広める立場となっていました。
仕事で母が携わった
全国の赤ちゃんは、1,000人以上…
営業では、わたしが描いた
「遊ぶように学んでいた絵」を見せると
100万円以上もする教材が
飛ぶように売れたそうです笑
小学生だったわたしの記憶に
強く残っているのは…
会社で全国1位の成績を残し、
トロフィーと表彰状を手にする
母の誇らしげな姿。
しかし、、
そんな成功は長く続きませんでした。
あまりにハードな仕事で
母の身体に異変が生じはじめたからです。
幼児教育への強い想いからか…
頑張りすぎるあまり、
無理が出始めていたのです。
これ以上、続けると
心身に悪影響が出てしまう。
そう判断して、泣く泣く退社。
幼児教育を通して
「学ぶ楽しさ」を広めるという仕事から
離れることになったのです。
わたしが小学4年生のときでした。
いつか「学ぶ楽しさ」を広めるね。
こうして母が仕事を辞めても、
わたしが幼少期に培った力は消えません。
(写真は、小学生の時の理科ノートです)
学ぶのが楽しいから、学校が楽しい。
学校が楽しいから、毎日が楽しい。
夢中になって学ぶので、自然と力がついてくる。
楽しいから、自分で机に向かう。
そんな毎日を過ごしていました。
興味を持ったことは、とことん追究。
小学生の頃、
- 動物が大好きで、
図書館の動物コーナーの本を読み尽くしたり… - 勉強法を極めるために、
大人向けの本を読み漁ったり… - 「PRESIDENT」という
ビジネス雑誌にハマって、
気になる内容を自由帳に書き写したり…
ほかにも、、
- 「子供の科学」という雑誌の発明コーナーに
オリジナルのアイデアをたくさん応募したり… - スーパーで安い食材を買ってきては
いかに調理するかを想像して試してみたり… - 家族の誕生日や記念日が来るたびに
メッセージカードを工作して喜んでもらったり…
日頃の遊びを通して、好奇心や発想力を
高めていったのかもしれません。
中学校や高校に通ってからも
こうした学ぶ楽しさを、
忘れることはありませんでした。
こんな風に、遊ぶように学んでいました。
(写真は、中学生の時の歴史ノートです)
おかげで、毎日が楽しく
充実していた記憶があります。
(高校生の時、友だちにもらったメッセージ。
うれしくて、今も大切に残しています)
当時のわたしは、ちょっと
人見知りなところがありましたが…
学校の休み時間は、
自然と友だちが声をかけてくれる。
好きな勉強を教えてあげることで
ちょっとでも、役に立てる。
そんなことにも、喜びを感じていました。
(写真:大学生の時、父と旅行でドライブしたときに撮りました。
この話には母が多く登場しますが、
もちろん父にも大きな影響を受けています。
わたしにとって父と母は最高の両親です)
幼い頃の原体験から、
わたしの頭の中に常に存在する問いが…
生きがいを高くするには?
わたしが見出した答えのひとつが、
「日常を楽しむこと」
それは、生きていれば
毎日やるようなことを楽しむこと。
たとえば、、
子どもにとっての勉強。
大人にとっての仕事。
勉強や仕事が楽しければ、
毎日が楽しくなると思いませんか?
わたしにとって
「学び」というのは、
新たな発見や気づきがあること。
昨日の自分より、
一歩でも成長できた嬉しさ。
知的好奇心が満たされる感覚。
勉強も、仕事もやっていれば
新たな気づきや発見があって
少しずつ成長していけます。
なので、
「学ぶ楽しさ」を知れば
勉強も、仕事も楽しくすることに
通じる部分があると思うのです。
勉強や仕事が楽しければ、
毎日が楽しくなる。
そんな毎日が積み重なれば
最高の人生になる。
だからこそ、小学生の頃から
「いつか『学ぶ楽しさ』を広めたい」
という想いを秘めていました。
わたしが未だに、小学生の頃のノートを
捨てずに残している理由は、
それをいつか伝える日が来ると
信じていたからです。
そして、いま、
その時が来たのだと感じています。
成績か?知的好奇心か?大学受験の葛藤と挫折
- 小さい頃から、学ぶのが大好き
- 小中高と勉強にあまり困らない
一見、順風満帆な人生のようかもしれません。
しかし、、
学ぶことが楽しかったからこそ…
だんだんと「受験」に縛られて
悩んだこともあります。
今だから言えること。
それは、、
「大学受験」は
できれば避けたかった…
ということです。
え?どういうこと…??
と思われるかもしれません。
正直にお話しします。
「入試で、いい点をとる」
そのため「だけ」に、勉強することは
幼少期に培った純粋な好奇心が
痛むことでもあったのです。
もちろん、勉強を通して身につく
成果を出すための
思考や習慣は一生モノ。
原理原則を理解することで
その後の人生にも活かせます。
しかし、、
いつのまにか、判断軸が
「受験」ばかりに縛られて…
- 受験に関係ない科目は、授業中に寝る
- 受験に関係ない科目は、てきとうにテストを受ける
- 受験を超えた範囲は、教えてもらえない
こんなふうになっていくのを
寂しく感じていました。
わたしの本音はというと、、
- 受験に関係なくても、面白いから学びたい
- 受験に関係なくても、納得いくまで理解しておきたい
- 受験に関係なくても、好奇心をとことん追究したい
こんなことを考えていました。
なぜなら、
純粋に学ぶのが楽しかったから。
いま振り返れば、これも
幼児教育の影響が大きかったのだと思います。
高校生のとき、理系選択のわたしは
世界史や日本史の授業は、
ほとんどありませんでした。
それでも、資料集を眺めたり
先生の話を聞いたりするのは楽しかった。
日本人として、現代を生きる者として
過去のことをもっと知りたかった。
理科の入試科目には、
生物と化学を選択しましたが…
本当は、物理や地学にも未練があった。
面白そうだと思っていました。
でも、時間は限られている。
だから、しかたなく
入試に必要な科目を身につけるよう
シフトさせていったのです…泣
それに、試験問題の解き方にしても
チャレンジ精神をくすぐる
難問につい手を出したくなるものの…
好奇心をグッとこらえて
確実にできる問題で点をとる
戦略に変えていきました。
本当に頭のいい人は、
難問もサラリと解くのでしょうが…汗
でも、大学に行く前からこんなことをいうと
「ただの言い訳じゃないか」
「やってから、言いなさい」
と言われそうで…
自分自身との葛藤の末…
一度目の大学受験は、惨敗。
原因は、自分自身にあったとしか
言いようがありません。
ここで終わったら、幼少期の教育は??
となってしまいますよね。
ご安心ください。ちゃんと復活します。
大切なのは「今」にどう向き合うか。
そう、わたしは考えています。
「今」がたとえ絶好調であっても…
泣けてくるほど辛い時期であっても。
なぜなら、
人生は「今」という瞬間の連続だから。
永久に過去にとらわれていたり…
その反対に、未来ばかりを
追いかけてたりしていたら…
二度と戻ってこない「今」を
犠牲にすることになってしまいます。
18歳の冬。
「これでもか」というほど
勉強して臨んだ大学受験。
しかし、その結果は不合格でした。
浪人。
わたしは、最初
人生に烙印を押された気分でした。
浪人生なんて嫌だ。恥ずかしい。
正直、そんな気持ちもありました。
もちろん、当時は本気で
現役合格するつもりだったから。
でも、そこから考えたんです。
この道を正解にするしかない。
過ぎ去った時間は取り戻せない。
でも、未来と自分なら
いくらでも変えることができる。
そう考えると、
自然と芽生えてきたのは
感謝の気持ちです。
- 学校に行けない人がいる中、
一日中、勉強に専念させてくれる家族 - いつも明るく叱咤激励してくれる
予備校の先生や仲間、高校の先生 - 雨の日も、風の日も予備校の前で、
温かく挨拶してくれる警備員さん
すると、
ひとつひとつの瞬間が輝きはじめ…
「いまを生きる」ことに
いっそう喜びを感じるようになりました。
だからこそ、わたしが重視するのは
今を「生きる力」を磨くこと。
どんな状況にあったとしても…
自分自身を大事にして、向き合う。
一人で、できることは限られています。
だからこそ、
大切にしたい「生きる力」とは…
ときには手をとりあって
いつも前向きに「今」を大切に
一歩ずつ進んでいく力。
そして、これから待ち受ける
「未来」に希望をもつ力です。
わたしが大学受験に落ちた時…
- 現役合格した友達の
SNSの投稿を見て嫉妬する - 頑張ってもムダだと思って
何もせずにダラダラする - 今さら変えても遅いと諦めて
ずっと自分の考えに固執する
そんな道もありました。
しかし、それでも前を向いて、
余計なプライドを捨てて
花を咲かすことができたのは…
周りの人に支えてもらえたこと。
そして、生きる姿勢や「軸」を
大切にしていたからだと思っています。
1年もの大切な時間と、
予備校のために100万円以上が
余分にかかってしまいましたが…
浪人の一年間で
考えたこと、感じたことは全て
わたしの人生にとって
大きな、大きな財産です。
原点に返る。 忘れかけていた子どもの頃の感覚
ついに念願の京都大学に合格。
受験から解放されたことで
わたしは「学びの自由」を
取り戻した気分でした。
やっと、好きなことを好きなだけ学べる…
大学生になって、羽を伸ばすと…
- 小さい頃から大好きだった動物に関する
「野生動物学」という講義をとってみたり… - 単位が取りやすいかどうかより、
純粋な好奇心で「アラビア語」を選択したり… - ドイツで言葉が分からなかったのが悔しくて、
下級生に混じって「ドイツ語」も学んでみたり…
面白い、楽しい、ワクワクする。
結果や成果に縛られず、
純粋に学びを楽しんでいた頃の
気持ちを思い出していました。
他にも、子どもの頃の感覚が蘇る
大切な経験をしていました。
大学1回生の夏休み。
小学生を対象にしたキャンプの
コーチをしたときの話です。
その日、わたしは、子どもたちの引率で
カヤックに乗ってびわ湖にいました。
見上げると、どこまでも広がる
青い空と白い雲。
空より、さらに深い青い湖。
透き通った空気の先に連なる山々。
そんな光景を前に、
ふと自分自身に問いかけたのです。
「子どもの頃、同じような景色を見たなぁ」
あの頃のわたしは、、
もっと本心に素直だったかもしれない。
失敗を恐れてなかったかもしれない。
恥を知らずに挑戦してたかもしれない。
でも、大人になるにつれて…
現実を見なさい。
考えが甘すぎる。
夢なんて叶わないよ。
どうせ、無理だから。
今さらやっても遅い…
人生、そんなものだよ。
気づかないうちに、そんな価値観に
染まりかけていたかもしれない。
そういえば、子どもの頃は
そんなことすら知らなかった。
そして、知らないからこそ
のびのび、ワクワクと毎日を過ごしていた。
現に、わたしが京都大学に
憧れたのは、小学2年生の頃。
よくよく考えてみると、
当時は京都大学がどんなレベルの
大学かすら、知らなかった笑
ただ単純に、家から近い。
それに両親が勧めてくれた。
なんか良さそうだな。行こう。
今思うと、単純すぎて笑えますが、、
自分にはできない
どうせ無理だ…
自分なんか、、
そんな風に自分を卑下することもなく
最初から諦めるのではなく、
思いっきり命を輝かせる。
大自然の光景を目の前に、
ふとそんな感覚を思い出したのです。
- 浪人したことで、完璧主義が薄れ
失敗のハードルが下がったこと - 大学1回生の夏休みのキャンプで、
子どもの頃の感覚を思い出したこと
こうした経験のおかげで、わたしの大学生活は
絵に描いたようないい時間になりました。
たとえば、、
- 全国で初めての新規事業立上げメンバーとして
1回生のときから社会人とたくさん話したり… - 人見知りだったのに、初めての一人旅でドイツに行き
「生きがい」をテーマに25日間、大冒険したり… - 日本トップレベルのマーケティング会社で働き
価値貢献しながらスキルを磨いたり…
好奇心のままに、
チャレンジを繰り返す日々。
こうした様々な経験を通して、
たくさんの人と出会い
自分自身の将来を見つめ直しました。
そして、いま…
「生きがいが高い人を増やす」という
人生のミッションが仕事になりました。
「あぁ、これこそがわたしの使命なんだ」
「ついに、この時が来たか…」
そう、改めて実感しています。
- 生後2ヶ月半で亡くなった兄
- 中学2年生で自死をした友人
そんな二人の存在から、
わたしは物心がついたときから
ずっと「生きる」ことに向き合ってきました。
どうしたら生きがいが高まるのか?
様々なバイトやインターン、会社を経験して
自分なりの答えを探し続けました。
たどりついた答えのひとつが、
主体的に人生を歩むための
「生きる力」を育むこと。
そんな「生きる力」を
赤ちゃんの頃から育むことです。
そして、何より…
わたし自身がいま、自信と誇りをもって
人生を歩めているのは…
幼少期の家庭教育のおかげで
「生きる力」を手に入れられたから。
そう実感しています。
わたしは両親をはじめ、
出会った人、育った環境、生まれた場所…
どれも本当に恵まれていた。
だから、今度はわたしが広める番。
そんな想いで、発信しています。
今になって気づく、「幼児教育」の力
この記事も、そろそろ終盤を迎えます。
記事でお話しするテーマのひとつが、
「わたしが幼少期に受けた教育を
大人になった今の視点から、振り返る」
ということでした。
なので、ここまでお話してきて
改めて幼児教育を振り返っていきます。
実は、わたし。
「変わってるね」とよく言われます笑
- 学ぶことを心の底から楽しんでいる
- 独自の発想でアイデアを大量に出す(見る人を困らせてしまうことも…)
- 高ければ高い壁のほうが、やる気も高い
- 周囲に流されず、自分の道を積極的に選ぶ
- いつも夢や目標に向かって、突き進んでいる
きっとこんなことが原因なのだと思います。
なぜ、わたしがこんな風になったのか?
その原因をよくよく考えてみると、
原点は「幼児教育」にあったと気づきます。
わたしは、
- 学ぶのは楽しい
- 成長は嬉しい
- 人生は自分で決める
物心ついた時からずっと
こんな考えで過ごしてきました。
だからこそ、
それが当たり前になっていて…
これまで深く考えたことは
ありませんでした。
0歳から受けてきた幼児教育。
小さい頃の記憶なので、
どんなことをしてもらったのか
忘れていることの方が多いです。
しかし、改めて振り返って…
母に話を聞いてみて…
幼少期につくられた土台が
これまでの人生に生きていたんだと
今になって気づきはじめたのです。
子どもの頃は…
- どんな習いごとをするか?
- どんな学校に通うか?
- どんな一日を過ごすか?
親が決めるので
自分自身で決断することは
少ないでしょう。
しかし、
大人になるにつれて…
- どんな仕事につくのか?
- どんな人と一緒にいるのか?
- どんな時間を過ごすのか?
こうした決断を
自分自身自分でする機会が
グンと増えていきます。
そんな時、
- すべてのことに、発見がある
- どんな状況でも、楽しむことができる
- 自分の軸に沿って、主体的に選択できる
こんな力があったからこそ…
毎日が楽しい。
未来は明るい。
人生が輝いている。
こんな「今」を手に入れることが
できるんだと気づいたのです。
もちろん、
こうしたベースになる考えは
大人になってから学んでも
十分に楽しめるし、
役立つものだと思っています。
だからこそ、
幼少期はもう過ぎてしまった…
今さらやっても遅い…
なんて思わずに、
「面白そう」
「そんな考えがあったのか」
「知っておいて、損はないな」
と、少しでも
興味をもってくださる人が
増えたら嬉しいです。
まずは「知る」ことによって、
ご自身はもちろん
愛する子ども、周囲の人たちに
必ず良い変化が生まれると信じています。
小さな恩返し
そしてもうひとつ、
この発信をする理由があります。
それは、お世話になった人、
目の前にいる人に恩返しするため。
身近にいる人に幸せを届けられてこそ、
たくさんの人を助けられる。
そう考えているからです。
そんなわたしが発信する内容は、
幼少期に受けた教育はもちろん、
これまでの経験や出会いを
すべて踏まえた「人生の集大成」です。
さいごに
これまでの話をまとめると、、
わたしが、「幼児教育」に関する発信をするのは
- 幼児教育のプロである母に育てられ
- 幼少期に培った「生きる力」を独自に進化させ
- 大人になった今の視点から語ることができる
から。
幼児教育の情報はたくさんあっても…
- その後、どんな人生になったか分からない
- 子どもの視点が分からない
そんなことが原因で、モヤモヤすることも
きっとあるのではないでしょうか。
なので、幼児教育を受けて
大人になった、わたしの経験が
一人でも多くのお父さん、お母さん、
そして、子どもたちの
役に立てれば嬉しく思います。
わたしが、本気でこだわっているのは
学力「だけ」の成功
ではなく、、
人生全体の幸せ。
一人ひとりがその人らしく
命を思いっきり輝かせること。
「生きていて、よかった」
一度きりの人生で、
そう感じられるようにすることです。
幼児教育こそ、「生きる力」の原点である。
どんな境遇に立たされても…
やさしい心を忘れずに、
強くたくましく生きることができる。
毎日が楽しくて、
その先もずっと楽しいと信じられる。
たとえ壁にぶち当たっても、
壁を乗り越える過程そのものが
「学び」として、楽しく感じられる。
いずれ、子が親元を離れたとしても…
親が先にこの世を去ったとしても…
親が伝える「生きる力」は
子どもに脈々と受け継がれていくでしょう。
わたし自身が、幼児教育のおかげで
そんな状態になれたからこそ…
一人でも多くの人と、この喜びを
共有できたら嬉しいです。
そして、最後になりましたが…
今日、こうして
わたしを見つけてくださり
ありがとうございます。
今回は、人生の集大成の気持ちで
魂を込めてお話しさせていただきました。
ここまで読んでくださったなら
わたしの考えに通じる部分が
きっとあったのだと思います。
気づけば、文字数はゆうに1万字を超え…
つい熱く語ってしまいましたが、
これが心の底から、
わたしがお伝えしたかったことです。
人の可能性、
子どもの可能性は無限大。
それを活かすかどうかは、あなた次第。
それに必要なのは、
ちょっとした勇気だけです。
こんなに長い文章を
しっかり読んでくださったあなたなので
その勇気はもう十分にあるはず。
今日という日が、あなたの人生にとって
かけがえのない一日になりますように。
最後まで読んでいただき
本当にありがとうございます。
一度きりの人生を
あなたと一緒に輝かすことができれば
こんなに嬉しいことはありません。
まおりん